ある日のこと。
確か真夏だったと思います。
いつものように、英語教室を終えて、真っ暗な夜道を自転車で帰路についていました。
帰りは下り坂ですから楽ちんです。
たまに車とすれ違いますから、それだけ注意しながら猛スピードで走っていました。
下り終わってしばらく行くと、大きな踏み切りがあります。
そこを渡るとうちまであと数百メートルです。
しかも、それは駅のすぐ近くの踏み切りですので、灯りが見えてきてなんとなくホッとする瞬間でした。
私がいつものようにその踏み切りを一気に渡ろうとすると…
『カンカンカンカンカンカン…』
遮断機が下り始めました。 列車がやって来たのです。
これはかなり珍しいことです。
当時は田舎のこんな夜遅くに走る列車なんてかなり珍しかったですからね。 確か寝台特急がありましたが、こんな時間だったでしょうか。
まあ仕方がないので、踏み切りの前で止まりました。
『家はもうすぐなのになぁ…』
ちょっと苛立ちを覚えながら、列車の来るのを待ちます。
こういう時には列車が来るのが異常に遅く感じるもので、ちょっと回り道してガード下くぐって行こうかとも考えました。
しかしそれも面倒だし、そのガード下ってのがまた薄暗くて気持ち悪いので、ちょっとためらわれます。
結局そのままそこで列車の通り過ぎるのを待つことにしました。
ようやく、列車のライトが見えてきました。
随分手前からスピードを落としているのがわかります。
この踏み切りを通過すると、あと200メートル足らずで駅のプラットホームですからね。
目の前を思ったよりもゆっくりとした速度で通り過ぎる列車。
それは最終の特急列車でした。
扉が車両の端っこに一箇所だけついているタイプです。
私はものすごい違和感を感じました。
しかも、腰の部分がビリビリと痺れた感覚です。
この症状が起こる時は決まっています。
とても、不吉な兆候なのです。
「う~ん、ちょっとまずいなぁ・・・」
そう思った瞬間・・・ 体が動かなくなりました。
自転車にまたがった状態で、金縛りになっているのです。
どうしたんだろう? 何も起こってないのに? 周りの音が全て消え去りました。
もちろん声も出ません。
「ジ、ジ、ジ・・・」 「コ、、バショ、、、、、、ダ・・・」
なんだ、この音は? ん、音? 違う。 声だ。 人の声だ。
私は恐怖を味わいながらも、現状が掴めてないために色んなことを考えようとしていました。
私は相変わらず目の前をゆっくりと通り過ぎて行く列車を見つめたままでしたが、
最初に感じたものすごい違和感の理由がなんとなくわかりかけていきます。
車両の扉の窓に人の顔が見えます。
次の駅で降りようとする乗客が既に準備して扉のそばで待ってるのでしょう。 「ジ、ジ、ジ・・・」 「コ、、バショ、、、、、、ダ・・・」
ん? この人(男)?
さっきの車両にもいた・・・???
あっ・・・
次の車両の扉にもいる。
次も、
その次も、
そしてその次も・・・
その男は次々に通り過ぎていく全ての車両の扉の窓にいるのです。
そして、暗い顔してこちらを見下ろしています。
「うわあぁぁぁぁぁ!」
私はありったけの声で叫びました。
それが声になったのかどうかはわかりませんが、その瞬間フッと体が動いたのです。
私は、無我夢中で踏み切りとは反対側に自転車をこぎだしました。
どこをどう走ったのか全く覚えてません。
とにかく、家にたどり着きました。
しかし、自営業の我が家は、お店のシャッターを開けてそこから入らなければいけません。
だからとてももどかしいのです。
とはいえ、ここでモタモタしてなんていられません。
しかも、静寂が恐くてたまらないので、シャッターをガンガンと叩きながら大声で家族を呼びました。
「何よそんなにうるさくして。近所迷惑でしょうが。・・・どうしたの?」
そういいながらシャッターの向こうから母がやって来くるのがわかりました。
ガチャガチャ…
シャッターの鍵を開ける音です。
でも、母の顔を実際に見るまでは油断できません。
ガラガラガラ…
シャッターが開きました。
母でした。
私はその場に座りこんでしまいました。
実に恐い思いをしました。
その後、私はあの踏み切りは使ってません。
かと言って、英語教室も止めませんでした。
なぜなら、止める理由がないからです。
こんなこと誰が信じてくれますか?